一つの考え方だけがまかり通る社会は危険な社会

「マッサン」を見ていて辛いです。第二次世界大戦が始まって、日本が外国人にとって生きづらい場所になっています。発言や思想が統率されてしまって、おそらくエリーやエマのように純粋で自分を通す人ほど辛い環境になってしまっていると思います。

 

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photo credit: Image taken from page 80 of 'The Earth: a descriptive history of the phenomena of the life of the Globe ... (The Ocean, Atmosphere and Life; being the second series of A descriptive history of the phenomena of the life of the Globe, etc.) Translated by .. via photopin (license)

 

こういう様子を見ていると、社会に思想、価値観の多様性があるということは大事なんだと改めて痛感します。

自分と異なる多様な考え方があるということを認めるということの実践の仕方が分からないと、以前記事にしました。

 

弱者放置リスクと多様な考え方について - OG BLOG

 

突き詰めれば自己矛盾になってしまうかもしれませんが、やはり、「多様な考え方があるということを認める」ということは、世界中のあらゆる人がやるべきことだと思います。僕が思う多様な考えがあるということを認めるということは、自分と異なる考えを尊重する、ということです。

じゃあ、例えば、「人を殺してもいい」という考え方も尊重しなくてはいけないか。このような明らかに自分と異なる考え方にふれた場合にも、頭から否定するのではなく、なぜそう考えるのか話し合って、歩み寄る必要があるのだと思います。お互いに。大事なのは、「お互いに」尊重し合うことだと思います。あらゆる人が「お互いに」という意識を持つことは、おそらく不可能なんだろうなという気はしてしまいますが・・・。

どんな考え方であれ、一つの考え方だけが採用されるという社会は、危険性をはらんだ社会だと感じます。それが例え一見聞こえがいい考え方であってもです。いろいろな考え方の人がいて、お互いの考え方を尊重し合える社会が理想的ですね。

当たり前のことを書いているかもしれませんが、「マッサン」を見て痛切に感じました。

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