愛情の功罪

思えば、自分は、ずっと誰かに存在を認められたい、受け入れられたい、と思いながら生きてきていた気がします。だから、ふとした時、一人きりでいることにものすごい寂しさを感じることがありました。

 

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photo credit: A fathers love via photopin (license)

 

この感覚はいつから生まれたんだろう。はっきり分からないけれど、ひょっとしたら、大学生になって、初めて親元から遠く離れて一人で暮らし始めたときかもしれません。

僕の両親は、本当に僕を大事に大事に育ててきてくれたと感じます。いつだって親の愛情を感じることが出来ました。いわゆる無償の愛というやつです。だから、愛情を受けることに慣れすぎてしまって、いざそれが身近から無くなって不安になったのかもしれません。

親から愛情を与えられずに育った子供は、愛情に飢えて、内面に問題を抱えてしまうという話を耳にします。その一方で、愛情を受け続けることにも、ほんの少しは悪い点はあるのかもしれません。親から愛情を与えられないよりは、遙かに幸せであることは確かですが。

僕の両親が過保護だったとは思わないけれど、もう少し突き放してくれていたら、放任主義な親だったら、もう少し自分は逞しい精神構造に育っていたのではないかなあ、と、ふとぼんやり思いました。

突き放せるってことは、その相手を信用できるから突き放せるんだと思います。そう考えると僕の親は、あんまり僕を信用できなくて色々と世話を焼いて愛情を注いでくれたんだなあ、という気がします。心配性ということもあるのでしょうが、もう少し子供の僕を信用してくれても良かったんじゃないかなあ。

別に親の育て方に文句を言っているわけではありません。

贅沢な悩みだと思います。

もうすぐ僕は人の親になるわけですが、どれくらい愛情を注いで、どれくらい突き放すか、バランスの取り方を探っていかなくてはいけません。

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