映画「海月姫」を観て オタクを扱った作品への嫌悪感についての考察

今日は初詣に行った後、映画を観に行きました。観たのは、公開されたばかりの「海月姫」。妻が長谷川博己さん好きなので。


映画『海月姫』公式サイト

 

オタクにスポットを当てた作品って、「電車男」以来ホントに増えた気がします。ただ、映画やドラマといった実写作品でオタクにスポットを当てたものは、僕はあまり好きになれないことが多いです。一方、漫画やアニメや小説といった作品(二次元作品とでも言えばよいでしょうか)では特に嫌悪感は生じません。何故なんだろう、と映画を見ながら考えていました。

まず、オタクにスポットを当てた実写作品を好きになれない理由としては、

  • 製作者はオタクというキャラクターを作品のネタ・材料にしたいだけで、つまりは製作者はオタクをバカにしていると感じる
  • 流行っているオタク要素を入れておけばウケルだろうという、製作者側のあざとさみたいなものを感じる

の2点が浮かんできました。

そして、漫画やアニメや小説といった二次元作品では嫌悪感を感じない理由は、

  • 二次元作品ではホントのオタクがオタクを理解して作品を作っているが、映画やドラマでは非オタクがオタクを理解せず作品を作っていると感じる

が浮かびました。これは正直タダの印象が根拠ですが、宮﨑駿とか、庵野秀明とか、ああオタクっぽいなあと思える二次元作品の製作者はすぐ浮かぶんですよね。それに比べて、実写作品の監督って、なんかお洒落に振る舞ってる人、非オタクが多くないですかね?どうですかね?

オタクがオタクにスポットを当てるのは自然なことだと思うんですよね。自分のオタク気質ってひょっとして周りから見たら面白いのかも、じゃあ作品の題材にしてみよう、と。だから、そこにオタクをバカにした感じやあざとさは無いと思えるのです。

オタクってある事に熱中し過ぎるタチで、それ故に他人とのコミュニケーションが少し苦手なところがある人、だと僕は思っています。で、僕自身はオタクと言えるほど深い趣味は持てていませんが、他人とのコミュニケーションを取ることが昔から苦手な方で、どうしてこうなんだろうとずっと悩んで生きてきました。そんな自分にとって、他人とのコミュニケーションを取りづらいタチであることって、面白おかしくネタにする対象ではなく、どうやって向き合っていくか深刻に悩み考えていかないといけない対象なのです。つまりオタクであることも、面白おかしくネタにすべき対象ではなく、悩み考えていくべき対象だと思うのです。(オタクであること自体が問題だとは言っていません。物事に熱中できる事って、本当に素晴らしいことだと思います。ただ、オタクのタチの人の中には、人とのコミュニケーションで悩んでいる人が多いんじゃないのかなあと思っているです。)

オタクの人がオタクを採り上げるのはいいんですよ。それは自分の悩みと向き合っていることだから。たとえそれが自虐でも、一つの向き合い方だと思います。でも、オタクじゃない人がオタクをエンタメ要素として採り上げる理由ってなんなんでしょう?バカにしてんのか、流行に乗ろうとしてんのか、としか思えない。

以下、ほんのちょっとだけネタバレ。

 

地区再開発の説明会に乗り込む主人公たちオタクの様子。いくらオタクだからって、あんな格好であんな挙動不審に乗り込む人がいますか?ああいう過剰なオタクの演出を見ると、馬鹿にしてるだけだろ、って思ってしまいます。腹が立つ。

以上、だらだらと書いてしまいました。

映画「海月姫」の感想としては、オタク仲間の一人の心の傷を描いたりしていて、オタクをタダの面白要素にしないようにしている部分も見られたので、その点でちょっと嫌悪感は和らいで、まあそれなりに面白かったかなあ、と思いました。オタク仲間一人ずつの心の内側に迫る場面があればよかったのですが、時間の制限もあったんですかね。原作の漫画ではどういう話になっているのか気になりました。

とりあえず、長谷川博己さんカッコいいですね。いい味出してましたね。あと、髪をおろした能年玲奈さん、すごくカワイイですね。SEKAI NO OWARIの曲も気になっていたので、聴けて良かったです。

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