妻へ感謝

僕は今年の2月に入籍、3月に結婚式を挙げたばかりの新婚(?)です(いつまで新婚と呼ぶのでしょうか)。

 

妻と出会って、一緒に暮らすようになって、本当に自分の気持ちが変わりました。

 

僕はずっと自分に自信の持てない人間でした。ずっと自分に自信を持ちたい、自分を肯定して生きていきたいと思っていました。

このブログを始めるにあたって、大学生時代の自分が書いていたブログ日記をたまたま発見して読み返してみましたが、そこに書かれていたのは、自分を変えたい、自信を持ちたい、それからカッコよくなりたい、カッコよくなってモテたい、という悶々とした悩みでした。ああ、妻と出会うまでの自分はこんなだったなあ、自分なりにすごく悩んでいたんだなあという事を思い出しました。

対人関係において、しかも女性相手で、なんの心配もなく自分をありのままに出せる相手は妻が初めてでした。

妻と出会って、以前よりも少し自分を好きになれました。

妻はちょっと好みが変わっている人のようで、カッコ悪いと悩みながら生きてきた僕のことを、本当にカッコいいと言ってくれます。最初は冗談と思いましたが、うちの親・兄弟の前でもそう話していたので、どうやら本気のようです。親・兄弟は苦笑していました。社会人になってから、少しは服装に気を遣うようになったのが良かったのかもしれません。

そして、何より妻が素晴らしいのは、とてもユーモアに溢れ、とても愛情深いことです。仕事で失敗したりして僕が落ち込んでいる時(よく失敗します)、妻は励ましの言葉は程々に、冗談で笑わせてくれたり、何も言わずにただ傍にいてくれたりします。

妻の愛情を感じていくことで、失敗の多い自分だけどこれでもいいんだ、自分はそんなにダメな人間ではないのかもしれないと思えるようになりました。

勿論、人間の根本はそんな簡単には変わらないと思います。何かうまくいかない時、すぐに自分が嫌になることは相変わらず多いです。それでも、家に帰って妻の笑顔を見ると、また頑張ろうと思えるのです。

ちょっと精神的に妻に依存しすぎてしまっているかもしれません…。仮に妻がいなくたって自分に自信をもって苦境を乗り越えていけるように、妻が苦しい時、笑えない時に支えていけるように、もう少し自立した自信をもちたいと思っています。

妻の愛情を感じたエピソードをもう一つだけ。

妻は現在妊娠6ヶ月目に入ったところです。妻は30代後半で高齢者出産に当たる事もあり、妊娠発覚後、出生前診断を受けるか議論をしました。出生前診断を受けるべきだと提案していたのは僕でした。こういう時、僕は結構ドライな考え方をします。もし診断を受けて、ダウン症を持った子だと分かったらどうするのか。議論をしている時に、妻はボソリと「でもどんな子でも、愛せる自信がある」と呟いたのでした。日頃、妻の愛情を感じている僕には、この言葉は本当の真実の気持ちだと思えました。

そんなこと言ったって、いざダウン症の子が生まれてきたらどうするんだ、育てていくのは大変だ、親が亡くなった後はどうするんだ、そんな甘いもんじゃない、という声も自分の心のなかで聞こえてはいます。でも、妻の愛情なら、本当にどんな子でも愛せると思うし、どんな子でも幸せな家庭を築ける気がするし、そうなっていけるように僕も一緒に努力していける気がしたのです。一緒に幸せな家庭を築いていける強さが欲しいと思えたのです。 ということで、結果として出生前診断は受けない事にしました。

 

ものすごく長い記事になってしまった…。

とにかく、妻よ、ありがとう!

 

(自分は承認欲求が満たされずに育ってしまった人間だったんだろうなあ、という気はしています。何故こんなに自己肯定感が低く育ってきたのか、自分でも分かりません。両親はすごく愛情をもって自分を育ててくれたと感じるのになあ。)

 

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